韓国人強制連行犠牲者法要を30年続ける日本人僧侶

 黒の僧服に黄土色の袈裟(けさ)をかけた日本人僧侶たちが大雄殿を埋め尽くした。香をたき、仏様に三拝した僧侶たちは般若心経を唱え、「日本の強制連行による犠牲者のための慰霊法要」を行った。

 釈迦誕生日(旧暦4月8日)の22日午前、ソウル市広津区の寺「祇園精舎」(住職:雪峰老師)で特別な法要が行われた。北海道札幌市の薬王寺で住職を務める田中清元老師(69)をはじめ、日本の有力仏教宗派・曹洞宗の僧侶27人と家族ら41人からなる訪問団が釈迦誕生日の奉祝法要に先立ち、慰霊法要を厳かに執り行った。日本の訪問団が釈迦誕生日に祇園精舎を訪れて慰霊法要を行うのは今年で16年目になる。

 そのきっかけは田中清元老師の父で故人の田中孝印先代住職にまでさかのぼる。先代住職は太平洋戦争終了後、托鉢(たくはつ)をしながら無縁仏の遺骨を収拾した。日本に強制連行されて飛行場・ダム・鉄道工事などに動員され、犠牲になった韓国人たちの遺骨だったが、身元までは確認できなかった。故郷に返してやりたいと思ったがそれもかなわず、ひとまず寺で供養した。そして1970年代から先代住職は何の縁故もない韓国を訪れるようになった。「韓国の石で作った碑、韓国の仏像、韓国の僧侶でなければきちんとした供養はできない」と考え、韓国仏教曹渓宗の総本山・曹渓寺(ソウル市鍾路区)前にある仏具店で韓国の仏像を購入して日本に持ち帰ったり、忠清道に山の石で慰霊塔を建てたりしたのが1984年のことだ。以来、毎年11月に薬王寺で強制連行の犠牲になった韓国人のための慰霊法要を行ってきた。こうしたことは韓国仏教界には知られていなかったし、知らせようとしたこともなかったという。

 ところが1980年代末、尼僧の雪峰老師がほかの僧侶たちと共に日本の寺を巡礼していた時、薬王寺の慰霊塔を見つけた。事情を聞いた雪峰老師は「本当にありがたい。私たちが今後10年間、慰霊法要を行う」と約束した。それから雪峰老師は毎年11月になると韓国で米粉・果物・菓子などの供物を用意、自ら松餅(ソンピョン)を作って犠牲者の霊前に供えた。強制連行犠牲者慰霊法要は2010年に先代住職が入寂した後も息子の田中清元老師に引き継がれた。2003年からは雪峰老師が毎年、釈迦誕生日に日本の僧侶たちを招き、祇園精舎で慰霊法要を開いている。約30人の日本人僧侶たちは毎年、航空機代を自己負担して韓国を訪れ、法要に参加している。

 田中清元老師は「強制連行された韓国人たちは北海道の厳しい寒さの中で死んで行った。40年前に無縁仏の韓国人の遺骨を守り、集めることは日本社会でも勇気が必要なことだったが、父は『仏弟子として民族を差別してはならない』と言って行っていた。今後も毎年11月の慰霊法要と釈迦誕生日の祇園精舎慰霊法要は続けていく」と語った。

キム・ハンス宗教専門記者
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  • ▲釈迦誕生日だった22日午前、ソウル市広津区の寺「祇園精舎」の法要に、日本人僧侶の田中清元住職=写真右から2人目=が雪峰老師=同右端=と共に参加した。田中清元老師は16年にわたり釈迦誕生日に祇園精舎を訪れ、日本の強制連行で犠牲になった韓国人のための慰霊法要を開いている。写真=パク・サンフン記者

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