母国語では書けなかった、植民地青年の悲劇的人生

母国語では書けなかった、植民地青年の悲劇的人生

【新刊】宋虎根著『再び、光の中に』(ナナム社)

 歴史小説『江華島』を昨年出版し、創作も手掛けるようになった社会学者の宋虎根(ソン・ホグン)ソウル大学教授が、2作目の長編小説を出版した。小説家の金史良(キム・サリャン)=1914-50=を通して、南北分断と6・25戦争(朝鮮戦争)にあらためて光を当てた作品だ。

 金史良に対する著者の愛情と長期間の探求で出来上がった小説なだけに、導入部は金史良への献辞で飾られた。「私は金史良と共に夜を過ごした。1940年に日本文学界の最高峰たる芥川賞を受賞(原文ママ)した作家、植民地朝鮮のゆがんだ世界を日本語で描き出した作家・金史良の魂を呼び出し、桜の花びら舞う京都大学の校庭や市内を歩いた。(中略)金史良は日本語で民族の感覚と現実を練り鍛え、救いの小さな穴をうがった。25歳で書かれた彼の受賞作『光の中に』は、植民地の境界から救いの光を探しに出発する、植民地青年の出港の鼓動だった」

 金史良の研究者らは、彼は日本語で文章を書いたものの内面言語はどこまでも朝鮮語であった、ということを強調してきた。だが金史良は「在日朝鮮人文学」のカテゴリーに閉じ込められている。宋教授は、金史良文学を韓国文学史に組み入れるべきだと主張している。「彼の作品には、朴景利(パク・キョンリ)の歴史的鬱血(うっけつ)、白石(ペク・ソク)の土俗的感性、キム・スンオクの近代的感覚の原型が、至るところに見いだされる」という。この小説は、金史良の晩年(1945-50)を、ドキュメンタリーと推理の技法を併用して再構成した。金史良は植民地時代末期に中国へ行き、北朝鮮に腰を据えた後、6・25戦争では人民軍の従軍記者として南下した。しかし1950年10月ごろ、江原道原州で病死したと推定されている。この小説は、分断時代の知識人・金史良が探し出そうと努めた「光」が何だったのか、文学的に、歴史的に推理しようとした。356ページ、1万4800ウォン(約1460円)。

朴海鉉(パク・ヘヒョン)記者
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