1991年、日本の住宅価格が下落を始めた。過去50年間上昇を続けた住宅価格が下落に転じると、専門家は「日本の不動産神話は絶対に崩壊しない。今が絶好の購入チャンスだ」と宣伝した。しかし、5年後には住宅価格が30%下落し、10年後には半額になった。
政策金利を6%から0.3%にまで引き下げた。財政出動も行った。しかし、1991年に474兆円だった名目国内総生産(GDP)は20年後の2010年でも475兆円と足踏み状態だ。税収は62兆円から37兆円へと急激に減少し、政府債務は増え続けた。株価は1989年末に日経平均が3万8915円で最高値を付けた後、2010年末には1万228円と4分の1に下落した。勤労者の世帯収入も月54万9000円から52万1000円に減少した。社会は完全に活力を失った。
1990年代初めに始まった日本の長期不況は多くのことを示唆する。80年代まで世界最強を誇った日本経済がなぜ挫折したのか。最大の理由は人口構造の変化だ。90年6月、当時の厚生省は「日本の出生率は1.66であり、今後経済活動人口が減少し、経済成長に大きな支障をきたす」と警告した。しかし、日本社会はそれを遠い将来のことだと考え、受け流した。その後、予測はすぐに現実となって表れた。住宅を購入する中心層である35-55歳の人口が20年間で350万人(9.5%)減少するというこれまでに例がない出来事が起きた。住宅景気はもちろん、消費も低迷した。
第二にマクロ経済政策の失敗だ。人口減少を控え、日本政府は巨大なバブルをつくってしまった。1985年のプラザ合意で円が2倍に切り上げられると、景気低迷を懸念した日本政府は構造調整ではなく、低金利政策を推進した。価値が高まった円を低金利でどんどん借りられるようになると、資産購入ブームが起きた。一時ハワイは「日本領」と呼ばれるほどだった。しかし、バブルが崩壊し、不動産、株式などはいずれも半値になった。
第三に政治の混乱と官僚の機能喪失だ。93年には日本の政治に大変化が起きた。新党ブームを起こした細川護煕首相が誕生し、自民党の長期政権が終わりを告げた。その後、政局混乱が続き、2012年の野田佳彦首相まで19年間で日本の首相は13人が交代した。平均在任期間は1.5年だった。内閣がこれほど頻繁に入れ替われば、国家の長期発展戦略など立てられない。構造調整ではなく、場当たり的に短期的な景気浮揚策やポピュリズムで対応して失敗した。