朴槿恵(パク・クネ)大統領が政治的モデルとしたエリザベス1世は、厚徳な性格の女性ではなかった。女王の私生活を研究した歴史家のアリソン・ウェア氏は「大英帝国を起こした同ヒロインは、気難しくて鼻が高く、気分屋で波が激しい傍若無人な人物だった」と書いた。神経過敏で恐慌発作の症状もあり、何かにつけて周囲につらく当たった。恋愛スキャンダルも絶えなかった。33歳も年下のエセックス伯爵と恋に落ちたこともあった。
しかし、国家統治では違っていた。悪賢いほどに緻密だった。3歳の時、母親を断頭台で失ったエリザベス1世は、「本当の心」の隠し方を幼い頃から体得した。周辺国を競争させ、暇さえあれば外交を通じて利益を獲得していった知略はここで発揮された。国民の心をつかむのは天才的だった。「リーダーは国民の視野に立って見ることができなければならない」と信じ、毎日夕方になると船に乗ってテムズ川を渡った。大通りを行進する際は、身分の低い女性たちがくれる花束を誰のものよりも先に受け取った。早く結婚するよう進言する貴族たちには「私の夫はイングランドだ」と宣言した。
朴大統領は、人生の屈曲が似ているエリザベス1世のように国を統治しようと考えたはずだ。経済神話を巻き起こした父の後を継いで、統一神話を巻き起こしたかったはずだ。しかし、王政時代の女王も固守した二つの統治原則を、朴大統領は無視した。エリザベス1世は「父であるヘンリー8世の上を行く独裁者」といった評価も受けたが、一方で誰よりも議会と世論を恐れた。年齢、身分、障害を超えて明晰(めいせき)な頭脳の持ち主を抜てきし、激しい論争を繰り広げたほか、お気に入りの側近も不正が発覚すれば容赦なく切り捨てた。貧民救済法の施行を控えて議会から王室の独占事業権を放棄するよう圧力を加えられた際は、すかさず白旗を上げた。「国民の愛なしに王座の栄光は無意味だ」ということをエリザベス1世は誰よりもよく知っていた。