「安重根(アン・ジュングン)将軍の遺体は、中国・遼寧省大連の旅順監獄で処刑された日の午後、最高級の松のひつぎに納められた後、極秘裏に大連の日本軍海軍基地から日本の東京・品川区にある伊藤博文の墓に送られ、日本の長州軍閥勢力が隠密に行った謝罪儀式に供物としてささげられた可能性が非常に高い」
韓国の歴史作家から、安重根の遺骨の埋葬場所をめぐる新たな主張が飛び出した。遺骨が日本にあると主張したのは歴史作家のホ・フン氏(63)。
1909年10月26日、安重根(当時30歳)は中国北部のハルビン駅で朝鮮総督府初代統監の伊藤博文(68歳)を射殺した。日本では、テロ実行犯の安重根を直ちに日本に移送すべきとの声が高まった。
ホ氏は「日本が安重根将軍の身柄をロシアから引き受けてハルビンから旅順に移送したのは、もともと日本が安重根将軍を日本に強制的に移送しようとしていたからだったが、英米から圧力を受けたためやむを得ず旅順監獄で裁判を行った」と主張した。
安重根は1910年3月26日に処刑されたが、処刑の2日前に家族に対し「自分が死んだらハルビン公園に埋葬し、祖国が主権を取り戻したら祖国に移送してほしい」と依頼していた。
ホ氏は安重根が「ハルビン公園」という場所を遺言で指定した理由について、安重根が自分の遺体が日本に移送されることを見越して、日本と反対方向に遠く離れた地域に埋葬されることを望んだとみている。しかし遺骨は家族には引き渡されなかったため、ハルビン公園への埋葬はかなわなかった。
ホ氏は、安重根の遺骨の所在地は伊藤博文の墓だとみている。そのため日本はいまだに遺骨関連の資料を公表できないというわけだ。伊藤の墓は年間を通して立ち入りが完全に禁止されており、祭祀(さいし)の日に限り一部関係者が墓の前に短時間入れるだけだという。
ホ氏は「われわれは安重根将軍の遺骨が伊藤の墓に屈辱的に埋められているという大前提の下で、日本に詳細な調査を粘り強く求め、国内外の関心を高めると同時に、日本に関連資料を出させるという二重戦略を取るべきだ」と提案した。
韓国国家報勲処は1980年代以降、旅順監獄の囚人墓地を数回にわたり発掘調査したが、遺骨発見には至らなかった。報勲処は「遺骨は家族が懇願したにもかかわらず家族に引き渡されなかったため、ハルビン公園には埋葬できなかった。日本政府は、安義士の遺骨が外に出た場合、独立運動の聖地になることを恐れたからだ。安義士の遺骨は今も旅順監獄の囚人墓地にあるが、正確な位置が分からないため韓国に送還することができない」と説明している。ソウル市の孝昌公園には安重根の仮の墓がある。