1868年の明治維新まで、日本人たちは天皇を、それほど尊敬してはいなかった。日本人たちが天皇をあがめるようになったのは、明治政府が権力を維持するために講じた政策のためだった。明治維新の主役たちは下級武士だったため、藩主や自分たちよりも身分の高い武士たちを抑え、政府の権威を高める象徴が必要だった。明治天皇は1867年に即位した当時、満14歳の少年だったが、明治維新の主役たちは、自分たちですら崇拝していなかった幼い天皇を「現人神」として祭り上げ、国家を支配するための道具として利用した。「天皇は神の国である日本を統治する現人神だ。日本人は神の子孫だ。天皇のためには喜んで死ねるようでなければならない」という論理が成立した。
日本人たちは明治時代末期から大正、昭和と時代が移る中、「天皇制」がつくり出した民族的ナルシシズムに陶酔していった。当時の日本の実質的な支配者は軍部と財閥だった。軍部は天皇の手足となって働く「忠臣」を自任し、天皇の権威をかさに着て国民の上に君臨した。財閥はそんな軍部と手を結び、力を付けていった。雁屋哲氏は『マンガ 日本人と天皇』で「天皇を敬っていないかのように思われる話をすることは、原則的に禁止された。近代の天皇制はこのような恐怖によって維持された」と批判した。軍部と財閥は、天皇の権威を前面に押し出し、国民を支配し、戦争に突き進んでいった。
象徴としての天皇の存在は、戦後に制定された日本国憲法の第1条にも「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く」という条文として盛り込まれた。安倍晋三首相など日本の保守派たちは、憲法を改正して「象徴天皇制」をより強化することを目指している。「国家の象徴」を「国家元首」に変更し、天皇を国家元首と定めていた明治憲法下の体制に近い形にしようというわけだ。かつての軍部がそうだったように、これは天皇の権威を絶対的なものにし、国民を支配しようという意図に基づいている。