日本の山道は不気味だ。まっすぐ伸びたスギの木が日差しを遮り、尾根に登るまで湿っぽく、暗い。ところどころにある奇異な神社からは、今すぐにでも幽霊が現れそうだ。人間のような形をした岩に赤い前掛けを付け、ろうそくをともしているのを見て、思わず縮み上がる。21世紀の先端文明国で、全ての事物に霊魂が宿ると信じる「アニミズム」とは。
日本ではキリスト教が浸透せず、仏教も形を変えて日本伝統の神道に溶け込んだ。日本人の宗教は「八百万の神」という言葉に集約される。八百万は非常に多いという意味だ。日本人はよく「死んだら自然に返る」と考える。人や動植物はもちろん、無生物にも魂があり、それが帰する全てが「神」だと考える。キツネの神、犬の神、山の神、畑の神、コメの神…。さらにはトイレの神もいるのだ。一神論者が信じる絶対神とは違う。
その中で、妖怪は「良くない由縁を持つ神」と言えばいいだろうか。妖怪は時代により、人々の心に違った風に描かれた。例えば「人面犬」の妖怪は1990年代に日本で広がった都市伝説から生まれた。リストラされた男性がさまよった揚げ句に自殺し、犬になったという。韓国の子どもたちにもなじみ深い日本のゲーム・アニメ「妖怪ウォッチ」にも、人面犬が登場する。日本はこんな風に、時代の情緒やユーモアを妖怪に投影してきた。
日本の妖怪は、伝統的な宗教観が生んだものだ。そのため、民俗学者や哲学者たちが注目した。100年ほど前、全国2831カ所をめぐって妖怪が絡む説話をまとめ上げた井上円了は、当代の哲学者だった。そのバトンを受け取ったのは、日本民俗学の創始者である柳田国男だった。そして、彼らが整理した日本の妖怪が人々に広く知られるようになったのは、水木しげるという漫画家がいたためだった。1960年代に始まった漫画「ゲゲゲの鬼太郎」シリーズで、学問と奇談の中にいた日本の妖怪を大衆のもとへ引っ張り出した。彼の故郷である鳥取県境港市には、妖怪をモチーフにした彼のキャラクターの銅像150体ほどが設置されている。通りの名前は「水木しげるロード」。4兆8000億円を稼いだという日本の「ポケットモンスター(ポケモン)」のかわいらしい妖怪キャラクターも、ここがルーツだ。
だが、前後を入れ替えては困る。日本はキャラクター産業を見据えて妖怪学に没頭したわけではない。妖怪の付加価値に早くに気付き、政府が投資したわけでもない。自国の伝統文化に対する学者たちの深い愛情、自国の伝統文化を大衆に伝えたいという漫画家の強い思いが、100年以上にわたり幾重にも積み重なり、今日の成果に至った。スマートフォン(スマホ)ゲーム「ポケモンGO」のヒットを受け、「韓国版妖怪学」を育成しようとまた無駄金を使うのではないか、今から心配だ。