今年83歳になる明仁日王(日王=天皇の韓国側呼称)が「生前に退位する」と表明した。これを伝える記事を書いていて手が一瞬、止まった。「天皇と書くべきだろうか、それとも日王と書くべきだろうか」。結局、日王と書いた。
私たち韓国人はいろいろな理由から日王と呼んでいる。皇帝と王の違いに境界線を設けるのは容易ではない。洋の東西では異なり、歴史的な文脈でも違う。単純に考えて、王や諸侯を率いる場合に皇帝と言うとしたら、日本の君主(原文ママ)はただの王だ。日本人が「天皇」と呼ぶからと言って、韓国人がその通りにする必要はない。日本の帝国主義により支配された35年間は韓国人にとって地獄だった。被害国が満足できるだけの反省もしていないのに、皇帝だなんて我々が思い及ぶはずもない。
このような論理に共感しながらも、日王の記事を書くたびに妙な引っ掛かりがある。日王を日王と呼べば、小さな矛盾が生じるからだ。例えば、日王が暮らす宮殿の名前は「皇居」、王族に関する法律の名前は「皇室典範」だ。韓国の新聞は、読者が分かりやすいようにこうした言葉を漢字で書く。「日王が皇居でオバマ大統領と会い…」「日王が退位するには皇室典範から手を付けなければ…」。こうした時、記者の頭の中の「校閲機」には赤信号がともる。皇居も「王居」と書き換えた方がいいのか、それともそのままの方がいいのか…。
このような文脈で、日本による植民地時代を身をもって経験した先輩方が何という言葉を使っていたのか、気になった。解放空間(1945年-48年)の記者たちはそのまま天皇と書いた。1950年代、60年代、70年代もずっとそうだった。日王を天皇と書いても、その時代の言葉や文には韓国人を粛然とさせる実感や気概がある。1961年3月1日付の朝鮮日報4面に載った記事を紹介しよう。三・一運動(1919年3月1日の独立運動)の時、10代だった小学校の先生へのインタビューだ。