半世紀以上前に英首相を務めたチャーチルの写真にソウル・光化門で会うとは思わなかった。シルクハットを手に、足を組んで座って太い葉巻をくわえている、あのおなじみの姿だ。隣には顔色の悪い米大統領ルーズベルトが疲れた様子で座っている。社団法人ワールドピース自由連合が光復(日本による植民地支配からの解放)70年にあたり開催した写真展だ。
そういえば今月はカイロ宣言・ヤルタ会談・ポツダム宣言など歴史的な出来事の名をあちこちで耳にする機会が多かった。カイロ宣言では「強大国が韓国の独立を約束」、ヤルタ会談では「解放された韓国に対する信託統治論議」、ポツダム宣言では「ソ連の対日参戦と韓半島(朝鮮半島)の米ソ分割占領決定」…。意味もよく知らずに覚えたものの、忘れていた出来事を再び思い起こさせたのは、やはり「光復70年」だった。
第二次世界大戦終戦を前に韓国の運命を左右した出来事の立役者はルーズベルトとチャーチル、そしてソ連のスターリンと中国の蒋介石だった。彼らは各国・各都市を巡り、日独敗北に伴う戦利品を手にしようとそろばんをはじき、神経戦を展開した。こうした戦勝国の首脳たちの姿に、明日をも知らず異国の地を転々とした大韓民国臨時政府の要人たちの姿が重なる。
太極旗(韓国国旗)の波と愛国歌(韓国国歌)の熱唱の中、光復70年の祝賀行事は終わった。この記念すべき年に生きている私たちがしなければならないことがあるとしたら、韓国人にとって感激そのものの光復が、どれだけ列強の利害が複雑に絡み、幾重にも重なり合った世界史的な出来事だったかに気付くことだろう。それに気付かなければ、70年前の光復が今の各国間の力関係において韓国に与える教訓を読み取ることはできない。
清国の干渉を受けた後、日本の植民地になり、解放と分断、南北に分かれての政府樹立、6・25戦争(朝鮮戦争)に至るまで、韓国近現代史のどれ一つ取っても世界史の流れ、特に国際勢力図の変化に対する理解なくしては説明できない。それにもかかわらず、外勢への抵抗と主体的対応のみを強調、外国の介入さえなければ韓国もうまいことやっていたはずだという「内在的発展論」を担ぎ出し、国外の歴史に目をつぶってきたというのが、これまでの韓国史研究や歴史教育の現実だった。
韓国人が安倍談話の文言に神経をとがらせていた今月初め、日本の文部省は高等学校で日本史と世界史を合わせた「歴史総合」という必修科目を新たに作るという教育課程改定案を発表した。近現代の日本史と世界史を一つにして教えてこそ「現在進行の歴史」を理解する力が育ち、グローバル時代の変化に対応できるというのだ。一方、韓国教育部(省に相当)は今年5月、高校の韓国史教科書から世界史に関する部分を大幅に減らすという歴史教育課程改正案を発表した。このため、「開港期の西欧列強の接近と朝鮮の対応」「日帝侵略に関連する国際情勢の変動と東アジアの変化」「解放期の建国努力と国際社会の動き」など、従来の教育課程にあった世界史関連項目も教科書から消えることになった。こうした内容なしに、果たして韓国の近現代史が書けるのか疑問だ。
現在、日本の歴史教科書は現政権による過去の美化、韓国の歴史教科書は左派自虐史観による韓国史卑下問題がある。世界へと向かう窓を子どもたちに対してどう開いてやるのかは、これとは別次元の重大な問題だ。両国の世界史教育の差が30年後の光復100年にどのような結果をもたらすのか、考えるだけで恐ろしい。