日本で2年過ごした米国ハーバード大学のエズラ・ボーゲル教授は1979年、『ジャパン・アズ・ナンバーワン』を執筆した。何であれ、「ナンバーワン」といえば無条件に米国という神話にヒビが入り始めた時期に出た本だ。日の出の勢いで米国経済の牙城を崩した日本経済に対する感嘆が、各ページにあふれていた。
当時、ボーゲル教授の目に映った日本は「奇跡の国」だった。子どもはよく学び、大人はよく働いた。高校進学率は94%、数学の成績は世界第2位、国民1人当たりの一日平均読書時間は米国人の2倍…。一方、人口比で見た強盗発生件数は米国の100分の1にもならなかった。政治は安定し官僚は明晰、経営者は有能で労働者は勤勉だった。国民の4人に3人が「中流」意識を持っていた。
この驚くべき国で作り出された新車が米国市場を陥落させた。トヨタの乗用車がニューヨークの郊外を埋め尽くし、日産のトラックがオハイオの田舎道を走った。米国自動車産業の中心地だったデトロイトは廃鉱のように衰退した。ニューヨーク・タイムズ・マガジンの表紙に、最新の日本の製鉄所とさび付いた米国の製鉄所を対比した写真が大きく掲載された。その上に書かれたヘッドラインは「日本からの脅威(The Danger from Japan)」というものだった。
ボーゲル教授は「恐れるのではなく、学ぶべきだ」と語った。「日本は100年にわたり、細かな部分に至るまで西欧を学んできたのに、西欧はなぜ日本を学ぼうとしないのか」と主張した。それほどまでに、ボーゲル教授は日本を愛し、日本もその愛に報いた。ボーゲル教授の著書は米国よりも日本でよく売れた。
しかしその後、全てが変わった。日本は90年代、バブルを経て20年もの長期不況を味わった。日本を称賛していたボーゲル教授も、これに乗じて評価を切り下げた。ボーゲル教授自身も、人気のない日本に代わって新たに浮上してきた中国を研究した。しかし、ボーゲル教授が日本に対する愛情と信頼をなくしたことはない。2012年12月、ボーゲル教授は日本の肩を持つ記事をニューヨーク・タイムズ紙に寄稿。ボーゲル教授は「西欧は日本が非効率的だと批判するが、公共交通から福祉制度に至るまで、全ての面でいまだに日本は堅固だ」と主張した。