【コラム】『帝国の慰安婦』騒動に見るマナーのあり方

【コラム】『帝国の慰安婦』騒動に見るマナーのあり方

 今回の旧正月連休に最も多く観客を集めた外国映画は『Kingsman: The Secret Service(キングスマン : ザ・シークレット・サービス)』だった。粋なスーツ姿で黒の長傘を振り回す紳士スパイ役のコリン・ファースは、若造に「Manners make a man!(マナーが紳士を作る)」という格言を残す。魅力的な英国式イントネーションのセリフ回しは観客のハートをさらうのに十分だったが、映画が終わるころ、記者はその言葉を教えてくれたもう一人の師のことを思い出していた。

 大学の時に英文科の教授が教えてくれた「マナー」は洗練されたスーツやイントネーションのことではなかった。それは謙譲と自制の精神だった。教授はこう言った。「紳士は決して自分の考えをすべてさらけ出さない。相手のことも自分のことも守るため、言葉を慎むものだ」

 不意に「紳士たるもののあり方」について考えたのには理由がある。朴裕河(パク・ユハ)世宗大学教授(日本語日本文学科)の本『帝国の慰安婦-植民地支配と記憶の闘争』に対するソウル東部地裁判決と、それに伴うソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)上での騒動を見たからだ。同地裁は同書の内容のうち、34カ所を削除しなければ販売を許可しないとの判断を下した。従軍慰安婦に対する名誉毀損(きそん)がその理由だ。

 安倍政権の右傾化が進む中、従軍慰安婦について日本だけでなく韓国の責任も指摘している同書の内容は非常に挑発的だ。学者の研究書とは言え、民族主義的な憤怒の矢を浴びるであろうことは十分に予測可能だったはずだ。しかし、この騒動や波紋は朴教授という個人をめぐる騒ぎに終わるような事案ではなかった。表現の自由と学者の良心、その限界についての深い議論のきっかけにもできる事案だった。ところが、その後の状況は思ってもいなかった方向に転がっていった。「天下の悪女」「民族反逆者」など、朴教授に対する個人攻撃の場に変質してしまったのだ。

 その先鋒(せんぽう)に立ったのは京畿道城南市の李在明(イ・ジェミョン)市長だった。李市長は「フェイスブック」や「ツイッター」などを通じ「こんな人間と(同じ)空の下で息が吸えるものか」「今からでも謝罪しなさい」「この人は本当に韓国人なのだろうか」など、憎悪や敵意に満ちた言葉を自ら書いたり、転載したりした。扇動的な書き込みに興奮したネットユーザーたちは、女性である朴教授に対し性的にさげすむ言葉や卑猥(ひわい)な言葉を書き連ねた。

 文字通り「見せしめ」になってしまったSNS上の応酬を見て、そのあおるようなむき出しの言葉を「ろ過」する最低限のマナーについて考えさせられた。もちろん、サイバー空間で開放感を得ようとしている匿名のネットユーザー全員に「紳士の道」を求めるのは無理だろう。しかし、少なくとも李市長のような公の立場にある人間なら、敵味方や二分法ばかりの論法に終始せず、社会の統合まで考えなければならない責任がある。敵味方をなくす真の対話の場を作るためにも、冷静になる、あるいは自制するというマナーを守るべきではないか。直接会って顔を見ながら議論する日まで、言葉を慎むことはできなかったのだろうか。

 一度もイケメンだと思えなかったコリン・ファースが、映画の中でけっこうイケてるように見えたのは、高級スーツを着ていたからだけではないだろう。李市長や韓国の政治家たちの口から出る言葉でも、そうしたマナーが守られることを期待したい。

文化部=魚秀雄(オ・スウン)次長
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