【コラム】京都の老舗に学ぶ「創造経済」

 60代の細尾真生氏は、京都にある1688年創業の西陣織の老舗「細尾」の11代目だ。先ごろ訪問した細尾氏の店には、日本の上位層たちの着物に使われた華やかな絹織物の見本が掛けられていた。地下では細尾氏が自ら開発したという糸車が忙しそうに動いていた。

 京都でよく見かける老舗の呉服屋めぐりに興味を抱くようになったのは、細尾氏の口から日本の伝統織物とは関係のなさそうな海外有名ブランドの名前が飛び出したためだ。「私たちの店は数年前から海外の有名ブランドに顧客層を広げました。シャネルのブティックのインテリア、ライカのカメラバッグ、トゥミの旅行バッグなどに自社のファブリックが使われています」。ルイ・ヴィトン、ディオール、フェラーリ、ハイアット…。顧客リストは長々と続いた。

 京都には、景気の低迷と安価な中国産の流入に耐え切れず、店を閉めた老舗が少なくない。細尾氏も売り上げの減少に苦戦したが、代々続いてきた店をやめたくなかった。そこで、海外に目を転じた。

 「世界中のファッション、デザイン見本市を訪ね歩きました。着物では限界がありましたから。自社製品でソファーや壁紙を作り、財布や靴も製作して披露しました」

 そしてある日、米国の著名な建築デザイナー、ピーター・マリノ氏が細尾のファブリックをシャネルのブティックに使いたいと連絡してきた。技術を総動員して最高級のファブリックを供給し、これを見たほかの会社からオーダーが入った。細尾氏は「細尾はもはや着物メーカーではなく、ファッション、インテリア、アートを手掛ける会社になった」と語った。

 細尾氏は続けて、ある友人の話を始めた。創業約140年の「開化堂」を経営しているその友人は、先代から伝授された手法で茶筒を作る職人だという。茶葉の変質を防ぐ技術が売り物だったが、高価な手作りの茶筒を買い求める人は次第に減っていった。店を売るしかないと嘆く友人に、細尾氏は自分の経験を基にこう提案した。「もうすぐメゾン・エ・オブジェ(フランスで開催される世界最高峰のインテリア・デザイン見本市)が開かれるから、一度出品してみてはどうだろう」

 友人はそのアドバイスを聞き入れ、自社製品を欧州の見本市にふさわしく作り直した。茶筒の直径を短くし、長さをより長くしたのだ。彼が見本市に出したのは「パスタを乾燥した状態で保つ、日本の伝統手法を用いたブリキの缶」だった。反響は大きく、契約の要請が次々に舞い込んだ。

 時代遅れになり、気力もなくなったと思い込んでいた日本の老舗のサクセスストーリーを聞いて、韓国政府が推し進める「創造経済」のことが思い浮かんだ。企業に資金を援助し、短期間での成果を求めるやり方は、果たして正しいのだろうか。店を出るとき、細尾氏は「見本市への出品後、最初のオーダーが入るまで5年かかり、それまでがとても大変だった」と語り、たどたどしい英語で力強くこう言った。「キープ・ザ・チャレンジング・スピリット(チャレンジ精神を忘れないで)。人々が認めてくれなくても、歯を食いしばってチャレンジ精神を貫くべきです。それこそが企業家です」

キム・シンヨン経済部記者
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