【萬物相】ロンドンのガンジー像

【萬物相】ロンドンのガンジー像

 ロンドンのテムズ川沿いにある英国国会議事堂横の広場は、サッカーグラウンドの半分くらいの広さがある。民主主義の故郷といえるこの場所には、ベンジャミン・ディズレーリやエーブラハム・リンカーンといった歴史的人物10人の銅像が立っている。一番最後に立てられたネルソン・マンデラの銅像前には、いつも花が供えられている。議事堂に最も近い場所に立っているウィンストン・チャーチルの銅像は、議事堂を見ずに、頭を左に傾けている。

 チャーチルは「私が死んでも銅像を建てないでほしい」と言い残した。秘書が理由を尋ねると、チャーチルはこう答えたという。「死んだ後も議会を見ているのは嫌だ。そして、わたしの頭の上にハトが止まってふんをするなど、考えただけでもぞっとする」。しかし、1965年にチャーチルが世を去った後、偉大な政治家の銅像を、当人が生涯にわたって通った議事堂の広場に立てるべきだという世論の声が強まった。英国政府は、妙案を考え出した。広場に銅像を立てるものの、議事堂以外の方向を向かせるというものだった。そして、銅像の中に機械を入れ、銅像にハトが止まれないようにした。

 英領インド出身のガンジーが、同じく英国の植民地だった南アフリカで弁護士として働いていたころ、チャーチルは植民地省の政務次官だった。ガンジーが、南アフリカで暮らすインド人の人権を守るためにロンドンを訪れたとき、チャーチルはガンジーを「裸のこじき」とののしった。チャーチルは「有色人種は政治的権利を主張できない」とくぎを刺した。

 インドは「日の沈まぬ国」大英帝国にとって宝石のような存在だった。英国が支配していた間、インドは国の富を奪われ、文化は衰退していった。ガンジーは非暴力抵抗や英国商品不買、国全体でのストといった運動を率い、何度も投獄された。31年に英国政府がガンジーの不服従運動に妥協し、インドの政治犯を釈放すると、インドの自治に反対していたチャーチルは「影の内閣」を離脱した。47年8月15日、インドは英国から独立した。先日、インドを訪れた英国のヘーグ外相とオズボーン蔵相が「ロンドンの国会議事堂広場にガンジー像を建てたい」と語った。チャーチル像から離れていない場所だ。

 来年は、ガンジーが南アフリカからインドに戻り、独立運動を始めてから100年目の年だ。外信は、ガンジー像建立について「歴史を記憶する英国流のやり方であるとともに、一種の謝罪」と報じた。インドとの経済協力を目指す英国からのプレゼント、という解釈もある。銅像は、もともと政治的なものだ。今年の春、祖国でもない中国に安重根(アン・ジュングン)の記念館ができたとき「犯罪者の記念館」と言い放った日本の官房長官の顔が思い浮かぶ。日本の国会議事堂横に李承晩(イ・スンマン)、金九(キム・グ)といった人々の銅像が建つ日は来るのだろうか。できないことは、そもそも想像しない方が良いだろう。

金泰翼(キム・テイク)論説委員
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