あす26日は安重根(アン・ジュングン)義士の殉国記念日だが、そのためか今月に入って安重根と関係のある昔の新聞記事が複数発見されている。まずニューヨーク・タイムズの1910年8月14日付紙面には安重根による狙撃の場面を描いた挿絵が掲載されていた。09年10月26日の狙撃当日の瞬間が撮影された動画を参考に、ハルビン駅を描いた絵として再現されたものだが、これによると安重根は日本式の着物を身に着けて銃弾を放ったことになっている。自分の正体を隠すために日本式の衣服を着ていたというのだ。しかし先日安重根記念事業会はこの絵について、史実とは異なると主張した。事業会の関係者によると、当時、安重根はスーツを着用していたという。
1909年12月6日付の米国のバラエティー週刊誌の記事も新たに発見された。記事の見出しは「暗殺映像が売りに出される」で、問題の映像がパリの競売市場に出されたことを報じるものだ。売り手はロシアの映画関係者で、予想落札価格は現在の価格で15億ウォン(約1億4200万円)ほど。ロシアのカメラマンが伊藤博文とロシア財務相の握手する場面を撮影しようと待機していた際、偶然にも安義士の義挙を撮影したものだという。
次の記事はシンガポールの英字紙「ストレーツタイムズ」の1909年12月22日付紙面に掲載されたものだ。見出しは「映像物記録、伊藤公爵暗殺フィルムの価格」だ。前の記事が出てから約半月後に実際の落札価格を報じた記事だが、それによると落札価格は現在の貨幣価値でおよそ3億7000万ウォン(約3500万円)ほどだった。落札者は頼母木桂吉という日本の政治家だったという。
われわれはこのフィルムを何としても探し出さねばならない。このフィルムに記録された映像を見た人物は今どこにいるのだろうか。当時、ニューヨーク・タイムズはこのフィルム2本が米国に到着したと報じているが、パリにはその複写が残っている可能性が高い。ニューヨーク、パリ、ロンドン、東京など、いずれかの国の保管庫のどこかに眠っているかもしれない。また映像コレクターが保管していることも考えられる。
フィルムの確保にはまず韓国政府が動かねばならない。韓国映像資料院、国家記録院、韓国放送公社、法務部、外交部(部はいずれも省に相当)などどこでもよい。責任を持って探し出さねばならない。もしかすると民間人が保管しているかもしれない。法律を制定し、最後までフィルムのある場所を追跡しなければならない。日本の宮内庁の秘密倉庫、あるいは日本の民間人、フランスの収集家など、どこにあったとしても安重根による狙撃の動画のある場所を見つけねばならない。韓国の政府機関やそれに所属する団体に責任を持って探させ、期限も設けてはならない。
記者は安重根が伊藤博文に向けて銃弾を放った現場の状況について詳しく知りたい。その日、安重根はどのような帽子をかぶっていたのか。半分だけかぶっていたのか、あるいは深くしっかりとかぶっていたのか。鼻のひげはどのような形だったのか。どのような靴を履き、またズボンをはいていたのか。もしかすると韓国式のチョゴリを着ていたのかもしれない。当日着用していた下着まで知ることができればなおよい。安重根は狙いを定めた後、何歩か移動してから引き金を引いたのだろうか、あるいはその場に立ったまま銃を放ったのか。銃は左手に持っていたのか、右手に持っていたのか。当時の安重根の身長や体重はどれくらいだったのか。これらは全て映像を見れば確認または推測できるはずだ。何よりも狙撃の瞬間の安重根の表情が気になる。元凶である伊藤博文の胸に向けて引き金を引く瞬間、安重根のかっと見開いた目を何としてもこの目で見たい。
ニューヨーク・タイムズの記事も修正すべきだ。同紙はつい先日、映画『それでも夜は明ける』に登場する奴隷の名前をノースラップではなくノーサップであると161年ぶりに修正した。ニューヨーク・タイムズの挿絵に描かれた安重根は着物を着用しているが、これが本当に間違っていて、そのことが当時の様子を撮影したフィルムによって確実に明らかになれば、ニューヨーク・タイムズの記事も修正しなければならない。安重根を主人公とした義人伝、小説、映画、ミュージカルに登場する全ての場面も修正、あるいは新たに想像して作り変えねばならない。