2014年は、ベビー用品業界と産婦人科の医師たちが最も恐れる「うま年」だ。色でいうと、青いうま年(甲午)に当たる。うま年には出産自体を控える夫婦が増える。「うま年の女性は強い」といった言い伝えのため、娘が生まれることを懸念するのだ。これまでも、うま年の出産率は毎回低かった。その代わり、男児の出生率は増加した。人口グラフにまで影響を与えるこのうま年説の由来は、一体何なのか。
結論から言うと、うま年説は日本から入ってきた迷信だ。社会全体的に反日感情が強い国で、科学的な根拠が全くない日本の迷信の影響で出産率が低下するという喜劇が演じられているのだ。
韓国の民俗には「庚午(かのえうま)=白いうま=」「甲午(きのえうま)=青いうま=」をタブー視したという言い伝えは一切ないという。その証拠に朝鮮王朝の王妃の中には、うま年の女性が少なくなかった。成宗の后妃の貞顕王后(壬午〈みずのえうま〉の1462年)、仁祖の后妃の仁烈王后(甲午の1594年)、孝宗の后妃の仁宣王后(戊午〈つちのえうま〉の1618年)、顕宗の后妃の明聖王后(壬午の1642年)がいずれも、うま年生まれだ。もし、朝鮮王朝時代にうま年の女性に対する否定的な俗説が存在していたら、朝鮮王室は「うま年の王妃」を選ばなかったはずだ。
国立民俗博物館の千鎮基(チョン・ジンギ)館長も、メディアとのインタビューで「えとに出てくる動物に色を加えることで、人間の吉凶禍福やその年の運勢に影響を及ぼすといった話は、歴史的な資料に基づくものではない」と説明する。うま年説は、韓国の民俗にそのルーツがあるのではないという意味だ。易学者たちも、うま年というだけで女性の運命を判断する根拠はどこにもないという。命理学の発祥地である中国にも、うま年を避ける風潮はない。
うま年をタブー視するようになったのは、日本で生じた「丙午(ひのえうま)の呪い」が原因だとする学説が有力だ。丙午の呪いとは、赤いうまを象徴する丙午の年に生まれた女性を不運の象徴と見なして差別する日本社会に浸透した俗説をいう。例えば丙午の年だった1966年、日本ではこれまでにないほど出生率が低下した。その年に生まれた子どもは136万人。その前年の65年に182万人が、翌年の67年には194万人が生まれている。つまり約50万-60万人も少なかったわけだ。戦争や天変地異があったわけでもないのに、出産率のグラフはまるで、おのを振り下ろしたかのような形をしている。米国のカリフォルニアやハワイにある日本の海外同胞社会でも、その年の出生率が2-3%減ったという。当時ベビーブームの真っただ中にあった韓国でも、大都市を中心に出生率が低下する不思議な現象が起こった。
西欧では見られない1966年の現象について分析する論文が多数発表された。中でも福岡大学の田中教授の研究陣は、丙午の呪いの起源は「江戸時代の1683年に放火の罪で処刑された少女、八百屋お七」という説を提示した。その後、歌舞伎でも演じられるようになったこの話の中で、16歳になったお七は自分の家に火を付けてしまう。ある若い僧侶に恋をした揚げ句、再会を願って放火したのだ。火は隣家に飛び火し、江戸全体を炎で包み込み、数千人の死傷者を出した。お七は結局「火あぶり」にされた。そのお七が丙午(1666年)生まれだったというのだ。